種子島の宇宙芸術祭

なぜ種子島なのか

 わが国で唯一の大型ロケット打ち上げ施設がある種子島は、「宇宙の島」だ。種子島宇宙センターが「世界で最も美しい射場」と親しまれる背景には、風光明媚な射場の光景もさることながら、地域固有の文化として宇宙が住民のなかに根づいていることも大きい。

 先行して宇宙と芸術の関わり合いについて研究活動に取り組んでいた宇宙芸術研究コミュニティ「beyond」※1 は、種子島を「宇宙芸術の聖地」として宇宙芸術の実践的な取り組みを示すために、地域芸術祭を開催することにした。種子島の豊かな自然や歴史と出会いながら「自然と科学と芸術の融合」が実現することを目標にした、宇宙芸術祭の取り組みが2012年から始まったのである。

 

※1- 宇宙芸術研究コミュニティ「beyond[space + art + design]」は、宇宙芸術及びデザインの創造による新しい世界観の構築を目的とした任意団体。地球外からの視点を研究の基盤とする。宇宙において人類が種として存続していくために、芸術、科学、工学の融合を通して「宇宙、地球、生命」の在り方を広く社会へ提唱することを趣旨としている。

宇宙芸術とは

 宇宙芸術と言うと新しい芸術のジャンルに聞こえるかもしれないが、人類が宇宙とどう向き合ってきたのかは、古代に歴史をさかのぼっても多く見ることができる。たとえばエジプトにあるピラミッドの底面の方角や稜角は、天文の方位と深く関わっていることがすでに知られている。仏教に伝わる曼荼羅図のように、宇宙の全容をあらわした図像が、各時代に多く残されている。古代より宇宙へのアプローチが、この世界の深い理解を推し進めてきたことには疑いがない。

高度な天文学的知識を持った古代人は、星の運行の解明のために精緻な観測記録を長期間にわたって残してきた。その一方で星座を描き、伝説や神話に基づく豊かなイマジネーションをそこに投影して伝えている。宇宙をとらえることは、科学技術の探究目標になるばかりではなく、豊かな創造力を醸成することにもつながっていた。

 科学技術の時代を迎えた現代になると、それはもっと具体性を帯びて、宇宙が人々の身近にとらえられるようになった。冷戦時代、米国とソ連が競って宇宙開発競争に乗り出し、初の人工衛星打ち上げが成功した1957年、宇宙時代の到来を伝えるニュースが世界中を駆け巡った。これは芸術界にも多大な影響をもたらしたようだ。「人工衛星と美術」と題された寄稿文で岡本太郎は「人工衛星第1号がうち上げられ、つづいて第2号。今度はわれわれの頭の上を、生きた犬ッコロが飛びまわっているというニュース。これにはアッといった。なんだ、科学の方がよっぽど芸術的じゃないか」と記している。「こんな状況では今日誰だってイマジネーションを宇宙的アヴァンチュールに飛躍させて行く」※2。本来は芸術が果たすべき意識の拡張が、急速な宇宙科学技術の進歩に取って代わられてしまいそうで、芸術の脅威となるという。

急激に進歩する科学技術文明の行き着く究極のターゲットとして、宇宙がそれだけの勢いを持っていた時代だった。

 国際宇宙ステーションの実現に象徴されるように、真の意味での宇宙時代が到来しようとしている21世紀では、JAXA(宇宙航空研究開発機構)も宇宙文化の創造を目指して人文社会科学分野における研究アプローチを行っている。ここでは宇宙進出の未来に向けて、人類がなぜ宇宙を目指すのかが問い直され、科学技術と同列で、宇宙·自然·地球·生命·人間などが語られなければならない。それらの研究を集約するかたちで日本実験棟「きぼう」で実施された、宇宙芸術実験の成果をぜひ確認してほしい。※3

 宇宙と芸術を掛けあわせると、これまで人間が何を追い求めてきたのか、その本質的なところがあぶり出されてくるようだ。これまでに国内の主要な美術館で、科学と芸術のクロスポイントを探る宇宙と芸術の展覧会が開催されてきたことも、あわせて紹介しておきたい。※4

 

※2- 「みずゑJ1958年JANUARY 630特集「機械文明と美術」岡本太郎「人工衛生と美術」Pp.18-19より一部抜粋

※3- JAXA「文化·人文社会科学利用パイロットミッション~世界初、宇宙芸術への挑戦~」より、逢坂卓郎(Spiral Top Ⅱ-Aurora Oval-)(2011), LEDによる独楽を無重力環境で運動をさせることにより、オーロラのような光跡を発生させるライトアート。http://iss.jaxa.jp/kiboexp/field/epo/pilot/ (図版:右)

※4- 「SPACE ODYSSEY宇宙の旅」展(2001年、水戸芸術館現代美術ギャラリー)、「ミッション[宇宙×芸術]コスモロジーを超えて」展(2014年、東京都現代美術館).「宇宙と芸術展」(2016年、森美術館)

宇宙と地域の架け橋は可能か?

 種子島宇宙芸術祭の開催に向けてのプレイベントは、2012年、宇宙をテーマにした創作のきっかけとして、こどもたちの参加による「こども宇宙芸術」から始まった。町のすべての小学生が「宇宙を平和にするロケットをつくろう」というテーマでロケットの絵を描いた。自由な発想で描かれたロケットのうち数点をもとにして、巨大な模型を制作し、町のお祭りで披露した。その翌年はそれぞれが自分の星を描いて、宇宙センターの芝生広場でいっせいに点灯させた。自分が描いた星が輝く星雲の一部となる「星空イルミネーション」だった。

 こども宇宙芸術の授業で、こどもたちには身近なところにも宇宙があることを知ってもらいたかった。家庭、学校、地域社会と活動圏が拡大していくなかで、イメージは途切れなく遠い宇宙につながっていく。身近な生活と対象的に、果てしない宇宙とのつながりを体験してもらうワークショップになったはずである。

自然と科学と芸術の融合

 「宇宙芸術の聖地」を目標にして種子島を訪れた当初は、鉄砲伝来やロケットの島という印象が強かったが、芸術祭のプレイベント活動を行うなかで、あらためて種子島は歴史と自然の島であることを知ることになった。必然的にこの種子島で実施する宇宙芸術祭のあり方も変容せざるを得なくなった。日本人のルーツがこの場所で暮らしていたことが、国史跡「広田遺跡」の調査で明らかになっている。長く受け継がれてきた歴史がある島に、人類の未来に挑戦する宇宙開発の最前線基地が同居する。この奇妙な偶然に多くのインスピレーションを感じるようになった。ここは「歴史と自然」+「宇宙」の交差点の島なのである。

 種子島の東海岸沿いに、「千座の岩屋」と呼ばれる巨大な海蝕洞のある岩山がある。地元にも親しまれた種子島随一の観光名所を利用して、世界最高峰のプラネタリウム装置を持ち込んだ前代未聞のイベントを計画した。

「岩屋の星筐」と題されたスーパー·プラネタリウム·イベントは2015年に初演."プラネタリウム·クリエイターの大平貴之が開発した[MEGASTAR-Ⅱ」を、潮が引いた洞窟のなかに設置して、雅楽奏者の東野珠実による笙の生演奏コンサートを行った。ギネス級最多を誇る星々の投影を背景に、宇宙の楽器と呼ばれる笙の音色が響き渡る。観客は耳の奥底に波音もあわせて聴こえてくる洞窟空間で、誰も見たことのない小宇宙を味わった。

 科学と芸術の融合によるひとつの到達点が宇宙芸術であるならば、「岩屋の星筐」が示したような大自然の要素を加えたときに、種子島での宇宙芸術祭の理想が見えてくる。種子島の持つ歴史と自然、それに加えて南国の太陽で日焼けした島の人たちの笑顔が、この島の芸術祭には欠かせない要素なのである。種子島宇宙芸術祭を機会に、宇宙の島の美しい星空を眺めながら、ゆっくりとそのことを考えてみてもいい。先端性を追い求めてばかりで疲弊気味な私たちにとって、これからの科学技術文明のひとつの帰着点として見えてくるものが、そこにあるのではないだろうか。

種子島宇宙芸術祭総合ディレクター

森脇裕之

もリわきひろゆき/1964年生まれ。筑波大学大学院芸術研究科 デザイン専攻修了。多摩美術大学情報デザイン学科教授 LEDを 用いたインタラクティブなインスタレーション作品で知ら れる。ファッション·デザイナーなど異分野クリエイターとの コラボレーションも多い。水戸芸術館「宇宙の旅」展(2001年)や 東京都現代美術館「ミッション[宇宙×芸術)-コスモロジーを 超えて-」展(2014年)などに参加。

宇宙 × 芸術 × 種子島

宇宙の島で宇宙をテーマにした芸術祭が目指すのは、新しい何かを発見するような宇宙芸術祭です。 この芸術祭は、種子島が持っている様々な特性がクロスオーバーする芸術祭になるだろうと考えてい ます。種子島の要素とは、宇宙であることに加えて、豊かな自然、古代にまで遡る歴史と伝統、幅広い食文化など上げれば数多くあります。そこに未来への挑戦ともいえる、我が国の宇宙開発の拠点施設が存在することに運命的なものを感じざるを得ません。新しいものと古いものが、時間軸を超えて 同居しているのが種子島なのです。そこで「宇宙」とは、我々が暮らす地球と生命、果てしなく続く 時間について問い直す、重要なキーワードであることがわかります。「芸術」とは、人間にとって根源 をとららえるための手段です。無限の宇宙を思いながら自分自身の足元を見つめて見たら、私は何者なのか?という疑問が湧いてくることでしょう。宇宙科学と芸術、種子島という地域性。異なる背景を持っていたとしても、それぞれの分野にこだわらず、自由に交差することによって、新しい展望が見えてくるのではないかと思っています。

種子島宇宙芸術祭 総合ディレクター 森脇裕之